2024年2月26日
カルヴァンは聖書の各巻の多くの聖書註解書と膨大な説教を遺したが、その聖書解釈の原理は、註解であれ説教であれ、カルヴァンの研究者たちによってすでに明らかにされているように、一貫して聖書の各巻の「著者の意図」を探求することにあった。さらに、聖書の各巻は著者が聖霊の促しの下で記述したという理解に立つと、聖書解釈の究極の目標は、著者に書き記すように促した神の御心を知ることにある。この目的のために、解釈者の仕事は聖書の御言葉そのものに聞くことを第一とし、自分の体験や時事的な関心を語ることを控え、さらに当該聖書箇所を教理的な視点や信条から解釈しない。
カルヴァンの聖書解釈は、アウグスティヌスの『キリスト教の教理』(397) における聖書解釈の基本原則である res et signum (モノとしるし)に由来すると考えられる。すなわち、聖書の御言葉をsignum とし、聖書の内容(著者の意図と著者に働きかけた神の御心)をres と捉える。すると聖書解釈とは、signumから res を掘り起こす作業となる。実際、カルヴァンはアウグスティヌスから多くのことを学んだが、その一つが聖書の解釈である。
拙論では、中世の聖書解釈に広く影響を与えたアウグスティヌスの基本的な解釈原理である res et signumについて論じ、またロッテルダムのエラスムスの著書、De ratione studii ac legend interpreandique auctores (1511)とDe utraque verborum ac rerum copia (1512) を参照して、この二冊の著書で res et signum がどのように扱われているか検討する。カルヴァンは、アウグスティヌスを高く評価しているが、若き日には、人文主義者エラスムスを畏敬している。
結論として、アウグスティヌスから中世およびエラスムスに至る流れの中で、カルヴァンの聖書解釈の原理をさらに掘り下げる。カルヴァンは彼らから聖書の解釈方法を習得したが、カルヴァン自身はそれを用い、一貫して同じ技法で聖書釈義、そして説教に取り組んだ。