2024年2月26日
「信仰義認」の教理は、ルーテル教会とローマ・カトリック教会との歴史的な「共同宣言」以降、神学的エキュメニズムの中心的主題となっている。他方で、同じく20世紀後半から新約学の分野で頭角を現し始めたいわゆるNPP(パウロ研究の新しい視点)においては、宗教改革者たちの義認理解が厳しい批判の対象とされている。本講演は、このような現代的課題を念頭におきつつ、とりわけカルヴァンの義認論の形成過程に注目することによって、その意義を再評価しようとするものである。
カルヴァンの主著『キリスト教綱要』最終版(1559年)における義認論(第3巻11~18章)は、実はそのほとんどが『綱要』第二版(1539年)の義認論の再録である。『綱要』初版(1536年)においてわずかな論述に過ぎなかった義認の教理は、第二版において最も中心的かつ(使徒信条解説を除けば)最も長い一章となっている。この大きな取り扱いの変化は、メランヒトンの『ロキ・コンムネス』(1535年版)とカルヴァン自身の『ローマ書』研究の影響によると思われる。
その場合重要なのは、カルヴァンはローマ書を神学議論のための単なる基礎資料としてではなく、あくまでも文脈に即した文献的解釈によって全聖書理解の鍵となる神学を理解しようした点である。それ故、カルヴァンの義認論は、プロテスタントにおいて主流であった「法廷的」義認論にとどまることなく、それをより根源的な“キリストとの一致”に見ることによって義認と聖化との一元的理解を可能にした。こうして、聖書における「行ない」や「報い」を巡る諸問題をも、一貫した聖書神学に基づいて解決し得たのである。
このようなカルヴァンの義認論は、“キリスト教が立ちも倒れもする教理”(『綱要』Ⅲ:2:1)すなわち福音の真髄であることを提示すると同時に、今日のエキュメニカルな対話やパウロ研究にも重要な光を投げかけるものである。